風が勢いよく吹いていた。戸を打ち付ける強風。ガタガタと鳴っていた。

「今日は風が強いんだね。」

「あぁ、そうだね。今日は太陽神(アポロン)様がいらっしゃらないみたいだ。」

しわがれた声で子供を諭した。ゆっくりと頭を撫でてやる。少し怯えていた様だった。

「大丈夫。私たちには神様が付いていらっしゃるから……。」

「本当?」

子供がすがる様な目でこちらを向く。今にも泣き出しそうな顔だった。

「あぁ。」

自信に満ちた顔で答えてやる。パァっと子供の顔が明るくなった。そしてもう一度頬を撫でてやった。

「私たちは誇り高き『狩蓮(カラス)』の一族。『隻紫眼(パープル・アイ)』を与えてくださった『神』様がいらっしゃるのだぞ。」

 

 その日は良く眠っていた。久しぶりに惰眠を貪った。

「ふぅ……うっ、あぁぁっっ……。」

いつも朝食は摂らない。適当な栄養ドリンクとゲル食材で済ましている。しかし今日はこんなに目覚めが良いので、ちょっと普通の食事が食べたくなった。

「パンでも焼くか。」

トースターの上の埃を掃い、コンセントを繋ぐ。昨日何気なく買った食パンが功を奏した。いつもカビだらけになって捨てるという勿体無いことばかりしていたので、初めて役に立ったかもしれない。

「あれ、塗るもんあったっけ。」

冷蔵庫を開けてみた。ふむ……、賞味期限は切れていないんだな。なかなか面白い所に着目してると思う。

「マーガリンでいっか。」

バターナイフと皿を出す。食パンは焼けたみたいだ。

「おかず……、いらねぇな。」

普通の人ならばここでベーコンやレタス等の「添えるもの」を出すだろうが、ルーアにとってはどうでもいいことだった。

「くっ……。」

昨日の事が頭を過ぎった。気分が悪い。このままだと注いでいる牛乳パックまで握りつぶしてしまいそうだ。

 

 いつもと同じように「出勤した」ルーアは、誰とも会わずに自分の研究室に入り込む事が出来た。タイムスタンプカードの廃止と自動入場計測機(オートエンタリングシステム)の導入により、誰とも会わずに自分の時間を有効利用できることは素晴らしい事だった。タイムスタンプカードなど押しに行けば、嫌でも人と会わなければならない。みんな一緒の所に行くから、だ。

「クソアマどもの様子でも見るか……。」

部屋に入ると同時に起動したコンピューターのキーボードを叩き、モニターに「彼女たち」を映す。相変わらずのようだ。

「さて……、ここが例の場所だな。」

昨日「空けた」個室が映し出される。床についていた血痕は綺麗に拭き取られ、跡形もなかった。そう、今日の獲物、新人「細野イルカ」の新しい部屋だ。

「まだ朝は早いが、『狩り』には適した時間だな……。一応呼び寄せよう……。」

時刻は午前8時。彼女にとっては登校時間だろう。最後の学校生活を堪能させてやるか、それとも途中で打ち切るか、はたまた到着地が違う場所にしてやるか……。

 どちらにしろ、彼女に選択肢は無い。僕たちは「研究」の専門、「彼ら」は「狩り」の専門、彼女は「被検体」の専門なのだ。いわゆるこれがワークシェアリング、分担作業だ。

 

 細野イルカは普段どおりに登校していた。いつもどおりバスに乗り込み、途中で乗ってくる彼のために席を空け、そして楽しくおしゃべり。何一つ不安な要素はない。父親がいない事はとても辛かったが、母親の話を聞く限りでは、とてもいい人だったらしい。何よりの誇りだと思う。

「でねー、今日さ、カラオケに行かない? アツシとか来るってさー。」

「へー、いいねー。でもさ、あと女の子のほうは誰にするの? アツシ居ないでしょ? 彼女。」

「だいじょーぶだよー、カワイー女の子紹介するからさ、私らで取り持ってやれば良いじゃん。」

「そっか、オッケー。じゃ、俺が伝えるわ。」

「うん、わかったー。」

別段変わりの無い会話。バスの中に広がるおしゃべりの輪。通勤に利用する会社員、学生、OL……。

 そして、誰にも見えることなくバスの後方に付ける、死神たち。

 

 バスの窓から見える景色は、どんどん様相を変えていった。段々日が陰り、雲が空全体を覆うまでに時間は掛からなかった。そして、車が少なくなり、何もなくなった

「ねぇ、なんか違う場所走ってない?」

語尾上げで彼氏に聞く。バス内に動揺が走る。運転手に問いただす客たち。

「おい、どこへ向かってるんだ?」

「といいましても……、次の『4丁目交差点』に向かうために県道120号を走っていたんですよ?」

「まかり間違ってもこの道は県道120号じゃないだろう?」

「はぁ、ですが……。」

県道120号がどうなのか知らないが、いつものファミレス街はない。そう、何もないのだ

「なんか気分悪い……。」

「おいおい、大丈夫か?」

彼氏がイルカの肩に手をかける。酷く冷たかった。

「どうしたの?」

イルカが不安になって彼氏の顔を見る。しかしただ上ずって喋れていなかった。

「う、うしろに……、何かいる……。」

 

そいつらはちゃんと整理券を貰って入ってきやがった。

「すみません、こんな変な場所に連れてきてしまって……。人探しをしています、『細野イルカ』様はこのバスにいらっしゃいますか?」

誰も反応しない。彼氏も口を開けたまま固まっている。当のイルカに至っては、小刻みに震えていた。

「あの……反応していただかないと困るんですけどね……。嘘を付いていらっしゃるなら、全員を詰問させていただきます。もしも本当にいらっしゃらないのであれば、全員の記憶を消させてもらいます。何しろ私たちの姿を見てしまったのですからね。」

そいつらは鋭い犬歯を見せながら笑った。口の中はとても赤く、肌はとても白かった。

「で、いらっしゃるんですか?」

「し、し、しらねーよ!! そんなことよりここはどこなんだよ!!

一人の乗客が叫ぶ。よく話しかけられたものだと思った。人見知りの激しい日本人、と聞いていたからだ。

「そんなことを知ってどうなさるんですか? あなたがここから降りて、会社に向かえるとでも思っていらっしゃるのですか?」

丁寧な口調、なのだろうか。慇懃無礼かもしれない。

「ちなみに言っておきますが、ここは次元が違います。まぁあなた方の知識から言えば、4次元とでも言えば良いでしょうか。『縦』、『横』、『高さ』、そして『時間』の概念が混ざった空間ですからね。」

一同沈黙。4次元なんてドラえもんぐらいでしか知らない。

「まぁ一種の並行(パラレル)世界(ワールド)です。おわかりですか? それよりさっさと教えてください。『イルカ』さんはいらっしゃるのか、と聞いているのです。」

誰も話すことが出来なかった。訳の分からない言葉ばかり話すこの薄気味悪い奴らと会話、したくなんかない。

「まぁいいです。調べれば済む事ですから。」

するとそいつらは何かのテスターを取り出した。そしてそれをバス内の空気に晒す。

「いいですか? 人間が呼吸して吐き出された空気には、微量の水分が混ざります。その水分には一人一人の肺の中の血液と混ざっていました。一人一人の血液は違います。あなた方が信用しているABO判定とかRH陰陽反応なんか、全くの誤解です。今からその微量の水分に含まれる人間固有の血液パターン……私らの中では『10AF判定』と呼んでいますが、その判定によって『イルカ』さんの有無を調べます。いいですね?」

簡単な説明をした後、スイッチを入れる。わずか数秒、ピピッと終了の音が流れた後、ディスプレイを見てそいつらは唸った。

「嘘ついてましたね?」

イルカの震えは止まらなくなってきた。最後部の座席の真ん中で、震えていた。

 先程の会社員がやっと喋り始めた。

「ふ、ふ、ふ、ふ、ふざけんな!! そんな奴いるかどうか知るわけねーだろ!!

そいつらの一人がイルカを探し出すために鼻をクンクンと使っていた時だった。もう一人の丁寧な奴が言う。

「いつも同じ乗客なのに?」

会社員の顔が凍りついた。そう、このバスは一度だって違うメンバーで走った事がない。いつもイルカと同じバスに乗っていた。イルカの存在を知っていた。後ろでいちゃつく、だらしない高校生として。

「嘘をつきましたね?」

ニッコリと笑うとその丁寧な奴の口が大きく開く。覗かせた犬歯は先程より伸びていた。

「ウギャァァァァァァ……。」

首を一気に噛み、右腕で頚骨(けいこつ)を折る。断末魔の叫びは、酷く鼓膜を揺らした。

「さて、出てきてください。それとも乗客全員をこんな風にしたいのですか?」

 運転手はバックミラー越しに映る悲惨な状況を見ていた。自分はどこを走っているのかなんてわからない。そりゃ、この騒がしい乗客全員を道連れに崖でも降りたいと思った事もあった。しかし、こんな酷い状況など望みもしなかった。ここは何をするべきなのか。一体何をするべきなのか。

「…………!」

何の因果か知らないが、運転席のドアフォルダーに拳銃が入っていた。咄嗟に取って運転席から出る。

「う、う、動くな!!

ぎこちない手つきで構える。向こうはニヤニヤと笑って、「撃ってみろ」とでも言いたいかのようだった。

「う、う、うわぁぁぁぁぁ!!

頭が真っ白になって撃つ。撃ってから、乗客に当たるかもな、と裕著なことを考えていた。

 

 メイはテレビを付けた。あまりこの文明の利器「テレビ」は好きではない、しかし文字を読む新聞よりは分かりやすい。丁度「朝のフラッシュ・ニュース」と銘打ってニュースをやっていた。

<みなさんご覧ください。崖から落ちたと思われるバスが炎上しております。消防活動が懸命に行われておりますが、本部の発表では生存者は絶望的となっています。以上、中継を終わります。>

<本当に悲惨な光景ですね。被害者の安否のみ気に掛かります。それでは次のニュース……>

――あぁ、そうか。「彼ら」がやっと動き出したのか。

メイはテレビの電源を消した。画面が黒くなり、自分の顔がその黒い画面に映る。酷く痩せた顔、頬骨が見えていた。ここ最近、能力の使用の頻度が増えていた。

――こちらから探す手間は省けた訳だ…。さて、どうする?

先程の炎上したバスの中継を思い出す。虫唾の走る光景。そう、映っていたのだ、奴らが。

――今まで確証が掴めなかったからなぁ……。やっと本望が遂げられるわけだ。さて、どうする?

――さて、どうする?

――サテ、ドウスル?

――サテ、ドウヤッテコロス?

頭に血が上ってきたようだ。手が小刻みに震える。血圧が上がると全身の筋肉が緊張するのは、まだ人間である証拠みたいだ。今日も、まだ人間をやれるらしい。

 メイは出かける用意をし始めた。今日も生きられたという証拠に、いつも観葉植物に水をやっていた。その水をやり終わると、黒い手袋をはめる。十字の紋章に「十字軍第1特別部隊(ウィザード・オブ・ワーウルフ)隊長」の証の斜め飾りの付いたものだ。その飾りがキラリと光を吸収したように見える。

「血は、飢えた場所の落ちるものだ。」

後ろで守護神が言う。

「汝が復讐の為、汝に血を流させる所以は何処へ?」

「私は……!」

言葉を遮った。長い髪が顔に掛かる。髪の合間から見える光を見つめた。

「私は『狩蓮』の末裔。それ以外の何者でもない!」

「しかし、汝はそれ以上の由を付けておらぬか?」

鋭く、的確に射抜く、冷たい言葉。

――あぁ、そうだ。間違いなく私は別の理由を付けて自己満足している。一番嫌いだったこの「狩り」を好んで、積極的にするようになったのは「あの事件」以来だ。

「汝の迷いは戦闘にも影響する。もう汝は長く持たんぞ。」

「いいんだ。もうこれで終わりになる。これが最後の戦い。」

静かに言った。そう、これで私が勝てば、「最後の戦い」だ。どこまでも「仮定条件(if)」は付きまとうらしい。

「私の! 私の目を! 私の夢を覚まさせてください。どこまでも付きまとう、この悪夢(ナイトメア)を!」

―『さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。』―

(マタイの福音書 第七項 第一〜二節 「人をさばくことについて」より抜粋)